三井郡江北三千町歩の救の主を祭る新築社殿鎭座祭は廿九日最も盛典に執行された。
その日夜來の降雨は屏風の高峯に淡き初雪を冠せたが、神德に拂はるゝ天候は想外の快晴となり、正午奏樂裡に式典は行はれ、柴田知事・舊藩主代理有馬頼寧氏其他の來賓及遺族等最も肅然として參列約一時間の後、閉式々後神前境内で風流の奉納及び神苑廣塲で吉例餅撒があつて、來賓約一千名は小石原川畔の大天幕内で祝賀宴に列し、先づ吉原郡長彰德會長として擧式開宴の挨拶をし、來賓の祝辭に移り、柴田知事は「二百拾數年の昔如斯偉業あり今又如此彰德の業を見る、現今社會の風潮に鑑み啻悦にたへず」と。
次ぎに舊藩主代理有馬頼寧氏は「今祭神六霊の前にぬかづき當時を追想する、我々はその意志を繼承して現代の吾が國家社會に何等かの貢献をなすべきである」と。
次ぎ前代議士佐々木正藏氏は、祭神たる舊庄屋の職責を説き「現代地方有責者に一針を加へ、此の神社を中心として教育に社會に大ひに資すべきである」と。
次ぎに大森縣農會副會長、郡内町村長惣代樋口立石村長、小學校長惣代及高山柴刈村長等の祝辭朗讀、實藤大堰村長の答辭で開宴、滿堂祭神の偉業を稱辭した。
先之朝間の悪天候に尠からず悄氣てゐた大堰、金島、弓削、本郷、太刀洗、宮ノ陣、味坂、北野、大城の關係九ヶ町村民が十數日前から熱注した余興は天氣快晴を見て一時に神苑を繞る數ヶ所の余興舞臺に繰り込み、万を以つて算ふる參拜觀衆は境内及神苑を埋め、その盛觀は祭神の偉業たる水道の流れに映り、相撲に演劇に道囃しの絃聲も賑かく、夜に入つては九鐡の好意に成る電燈装飾は燦然として白晝の如く、名物仕掛煙火は『奈須の與市扇の的』其他の新案を現はし、觀衆去らず深更迄賑ひ翌三十日も引續き前日に劣らぬ余興で晝夜共頗る賑つた。
因に新築神殿の總工費は五萬圓を投ぜられてゐると。